私感:作品として写真を作ること

写真を展示するということ。
ひと昔前まではそれ相応のひとがやるものだと思っていました。

それが、とあるきっかけで「自分もやっていいんだ」という気持ちに変わり、はや4回もの個展を開催するにまでいたりました。もちろん自分の気持ちだけでなく、さまざまなきっかけがあってのことですから感謝なしにはいられません。

初めての個展は2010年、パリ旅行にて山ほど撮った写真で“なにかしたい”と思ったことがきっかけです。

2回目は出産後の心境の変化をかたちにしたいという思いで数年間撮りためてあったフィルム写真を。3回目は公募展に応募するために直前に撮っていたデジタル写真が作品として世に出ることとなりました。

過去3回に言えることは、どれも「すでに撮ってあった」写真であり、テーマも後付けでした。

今回の「Blessed Hours」は、フェルケール博物館さまからギャラリー出展のお話をいただいてから撮り始めた写真群です。昨年からうっすらと構想のあったものを、写真を撮りながら固めていきました。

この世界は それ以上でも それ以下でもなく
ただ感じるままに 喜びと悲しみが あるだけである

案内状にあるこの言葉は、とある冬の日暮れ、撮影のあとに降りてきた言葉です。その日は寒波が来ており、雨は降ってはいませんでしたが酷く荒れた海でした。

波打ち際には珍しく波の花ができており、私は天候のことなどものともせず興奮気味に撮っていたことを覚えています。「Blessed Hours」、至福の時 という意味ですが、まさにその時間は至福そのものでした。

撮影は1月から5月にかけて行いました。目標としていたフィルム本数を撮り終え、写真を選びます。テストプリントをざっと並べて直感で半分ぐらいに絞り、構成を考えながらその中からさらに10枚。

そこからプリントのためにフィルムと付け合わせるのですが、その選んだ10枚というのが面白いことに“酷く荒れた日”のネガに集中していたのですね。これには自分も驚きました。

その日の気持ちが、時間を飛び越えて私にそうさせたのかのごとく。


作品として写真を作ることは、自分で現像やプリントを緻密に計算してやる人もいれば、直感だけでぱっと決めてしまう人もいます。
わたしは完全に後者ですが、今回はその直感とテーマがうまくまとまったのでは(?)と思っています。

展示作品もプリントを経て手元にやってきました。
8月1日のスタートまであと2週間。どんな写真群か気になる方は、フェルケール博物館1F ギャラリーへ足をお運びください。